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​イベントこんなに盛り上がりました!

​イベントは終了しましたが、当日の記録を掲載

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請福酒造 有限会社

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株式会社 多良川

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​久米島の久米仙

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沖縄県工業技術センター

※『琉球泡盛ニ就イテ』(大正13年) 当時の泡盛製造の実態をまとめた貴重な調査研究本。その中に芋酒の記述が見られる。著者は沖縄県立農林学校教師だった田中愛穂(ちかほ)。明治34年鹿児島県出身。

甘藷が本県民の必須食料品となったこと

甘藷そのものの性質が強力だったためとて

すなわち忽ちのうちに全土に拡がり

その生産も亦著しきものとなった。

依りて按ずるに、これを原料として製造する

芋酒の生産量も多額のものとなったものであらう。

大正13年 田中愛穂著『琉球泡盛ニ就イテ』より

お腹を満たしてくれた上に

心までも癒してくれる。

まさに甘藷さまさまでした。

甘藷が沖縄本島や各離島に伝わったのは琉球国王尚寧の時代、1600年前後のこと。沖縄は昔から台風常襲地帯で、水にも乏しく米づくりには適さない土地でした。しかもせっかく実った米も年貢として大半が持って行かれるために、食料の確保には苦労してきた地域でした。そこへ中南米原産の甘藷が中国経由でもたらされ、重要な食料となります。そして、食料に余裕ができると嗜好品としての酒の需要が増大していく。つまり、甘藷を原料とした酒が醸されるのは自然な流れだったのです。

琉球政府の役人奉行は

相当の高位高官にある身乍ら、

米焼酎たる泡盛を常用せず、

芋酒は泡盛よりも美味なるとして、

之を用ひてきた。

当時の人は之を又珍しいものにして居た。

故に彼等奉行連は絶えず、

良質なる芋酒をさがし求めていた。

大正13年 田中愛穂著『琉球泡盛ニ就イテ』より

手づくりの芋酒は

味わいもいろいろ。

名人がつくれば、

とびきりのお酒に。

これは琉球王国時代のエピソードを記した箇所です。当時、米の蒸留酒である泡盛は薩摩藩への上納品として王府によって厳しく管理されていましたが、芋の蒸留酒であるイムゲーはほとんど規制がなく、それぞれの島で、それぞれの集落で身近にある材料を工夫して個性ある芋酒がつくられていました。そんな庶民の酒を、泡盛が飲める上流階級の役人が好み、逸品を見つけ出しては上納させていたという話で、「芋酒が、その実質に於いて如何に上下に愛せられたかが分ん」と結ばれています。

米若しくは粟を以って製造スル焼酎は、

前項の焼酎職にあらざれば

之を製造スル能わずと雖も

甘藷を以って製造スル

所謂芋焼酎なるものは、

何人も之を製造スルことを得るものにして、

之に対しては別に課税セラレタルコトナシ。

 明治26年 『沖縄県旧慣租税制度』より

自家製の芋酒なら

どうぞご自由に。

税金もいっさい、

いただきません。

明治12年(1879)の廃藩置県で450年間に及んだ琉球王国時代は終わり、税金さえ払えば誰でも泡盛などの酒が自由に製造できる酒造販売自由化の時代になりました。かたや芋酒は家庭でつくる自家用の酒でしたから、その生産量からして明治政府も問題にしていなかったようで、旧来通り全くのお構いなしで、課税もなし。芋酒は益々一般庶民の生活に溶け込んでいきました。

当時の婦人の芋酒製造技能の巧拙は、

今日の中流以上の婦人に於ける、

音曲、文芸趣味の様に、

世人から非常に注目せられたもので、

嫁を迎へんとする時の如き、

先ず第一に質す言葉に

「彼女は酒及び味噌を巧みに製造し得るや」

であった。

大正13年 田中愛穂著『琉球泡盛ニ就イテ』より

彼女は芋酒づくりが

上手らしい。

だったらぜひぜひ、

うちの嫁に!

著者が芋酒について当時の古老に尋ねると「自分等の若い時分に、男は飲むもの、女は作る者と決まっていたから製造法なら女に聞かれたし」と言われたそうで、明治時代、芋酒づくりがもっぱら農家の主婦の仕事だったことがうかがえます。だから嫁取りの時の条件にもなっていたようです。「出産や結婚の祝いなどにはどの家でも芋酒をつくっていた。最初に出てくるハナ酒は強く、コップ一杯で酔っ払った」。こちらは『具志川市史』に採録されている明治28年生まれの女性の話です。

斯くの如く、上下一般に

愛好されて来た芋酒も、(中略)

酒税法の適用を見るようになった結果、

自由醸造に厳禁せられ、

農家所有の蒸留器は

全部撤去されてしまった。(中略)

かくして、永年の間沖縄一般に

常用されて居た芋酒は、

全く廃滅されて終へたのである。

大正13年 田中愛穂著『琉球泡盛ニ就イテ』より

琉球庶民に愛された

幻の芋酒が

IMUGE.として

一世紀ぶりの復活です。

「人の生まるるや一週間は宴会をぶっ続け、人の死ぬや又酒を出し、(中略)凡そ萬人集まりて悲喜苦楽を共にするときには必ず酒を用いた」とあるように、酒とは切っても切り離せなかった沖縄庶民の暮らし。その主役であり、琉球王国時代から身分の上下にかかわらず万人に愛されてきた芋酒も「自家醸造」が事実上禁止された明治32年(1899)の酒税法により厳しい密造摘発が行われた結果、次第に姿を消していきます。そして、大正末期までには離島も含めてほぼ絶滅。その幻の芋酒がIMUGE.となって、昭和、平成を経て、一世紀ぶりの復活を果たします。